JAGUAR・大いなる人生を送っていただくために存在する車です。。。

  • Daimler 
    ディムラー[DAIMLER]
    英国の企業家フレデリック・リチャード・シムズが、1896年ドイツ・ダイムラー社からエンジン製造、販売のライセンスを取得し、コヴェントリーにデイムラーモーターカンパニーを設立。英国最古の自動車メーカーとなりました。
    1897年に1号車が完成すると、エンジンパテント所有者に敬意を表し、ダイムラーを英語読みにした名前を車名としました。1902年、エドワード7世により英国王室の御料車に指定され、大型高級乗用車として英国の上流階級に広く受け入れられました。1908年にはダブルスリーブバルブの製造権を買い取り、静粛性を向上、高級車としての地位を不動のものとしました。
    1931年高級車メーカーランチェスター社を吸収しますが、第二次世界大戦後の大衆化、大量生産の波に乗り遅れ業績が悪化。1959年にはスポーツカーSP250を発表して巻き返しを図りますが、1960年にジャガー社に吸取されました。ジャガーの対抗馬であったSP250も64年で製造中止され、現在はジャガーと同一のボディに意匠を変え、その名を残しています。

  • JAGUAR
    ジャガー[JAGUAR]
    1922年オートバイ好きのウィリアム・ライオンズは、友人のウィリアム・ウォルムズレーとともにサイドカーを製作するスワローサイドカー社を創業し、成功を収めました。1927年にはスワローコーチビルディングカンパニーを設立し、1931年スポーツ感覚に溢れるSSシリーズ発表、センセーションを巻き起こしました。1935年にはハイパワーとスタイリッシュなボディを持つ高性能車を開発し、優雅さ、上品さ、力強さ、そして敏捷さというイメージを有する「ジャガー」という車名を与えました。
    大戦後はジャガーカーズ・リミテッドとして新たなるスタートを切り、1948年には最高の性能を備えたスポーツカーXKシリーズを発表しました。その後もXKエンジンを搭載したMkVII、MkII等のサルーンを発表するとともに、6気筒XKエンジンを搭載したCタイプならびにDタイプはル・マン24時間レースにおいて大活躍しました。1960年には英国最古の自動車メーカーである名門ダイムラーを親会社のBSAから買収、翌1961年にはXKスポーツの後継車となるEタイプやMkX、1968年には、XJシリーズが誕生しましたが、現在はアメリカの大自動車企業フォードの傘下にあります。

原点 スワローサイドカー
馬と二輪車
 馬は高速モビリティの原点である。イギリスでは乗馬は貴族のスポーツだ。文字通り騎士を先祖に持つ貴族にとって、騎乗してのキツネ狩りは社交スポーツの儀式でもある。自動車がはやり出すと、マナーハウスと呼ばれる田園邸宅がある領地での乗馬と並行して、貴族たちは二輪車を楽しみ、そのなかでサイドカーも生み出された。1922年にサー・ウイリアム・ライオンズがつくり始めたサイドカーが、名車ジャグアーの誕生につながる。スポーツカーもこの延長線上にあり、田舎道をほこりだらけになって疾走する乗馬の楽しみにつながっている。もともとは野性的(=バーバリズム)狩猟につながるこの楽しみのなかで、ほこりよけの必需品として生まれたのがバーバリーのダスターコートである。

Jaguar XJ40 Sovereign ラスト・ウイリアム
ジャガー・サルーンは
英国のトラディショナルな味わいで
現代のハイテク技術を
やさしくパッケージした
強い者こそ優しくなければいけない
それを実践したジャガーは
高級乗用車のお手本
ジャガーが似合う
英国的生活に憧れる

JAGUAR XJ40
ジャガー復活を象徴するように、1984年、
ジャガー社はBLから独立して再び独自の道を
歩み出す、その新体制下で1986年に
発表されたのがジャガーXJ40サルーンであった、
何もかもが新しくされたが、生産性や信頼性の
向上は目覚しく、ジャガーは自らの基盤を
強固たるものにした。
1989年にはフォード傘下に入るも、
ニュウモデルの開発を促進、ジャガーXJ−Sのフルモデルチェンジ及びXJ220の市販化といった、スポーツカーとしてのジャガー復活も実現、流麗なジャガースポーツカーが
世に送り出される、
「美とテクノロジーの融合」
この今は無きサー・ウイリアム・ライオンズの
ポリシーは、現在、そして未来についても、
変わることなく生き続けて行くことであろう。

化け猫ホームページ